沿革・あゆみ

1.草創期

1992年9月生野家族会と保健センターの相談員により生野区桃谷に精神障害者の小規模作業所アトリエ・IKが開設された
1993年6月精神保健法が改正され精神障害者地域生活援助事業(グループホーム)が法定化(1994年4月施行)
1993年12月障害者基本法が成立。精神障害者が法的に福祉の対象であることが明文化された
1994年8月天王寺家族会と保健センターの相談員により天王寺区生玉前町に精神障害者の小規模作業所むつみ工房が開設された
生野区・東成区の精神科クリニックの呼びかけで精神障害者の生活の場作りを進める会(準備会)発足
1994年12月精神障害者の生活の場作りを進める会(準備会)の主催で講演会「当事者は今」が生野区民センターにて開催された
1995年5月精神保健法が改正され精神保健および精神障害者福祉に関する法律(精神保健福祉法)となった(同年7月施行)
1995年12月厚生省が「障害者プラン―ノーマライゼーション7ヵ年戦略」を発表。地域生活支援センターの制度化が示された
1996年5月厚生省が精神障害者地域生活支援事業要綱を定め、地域生活支援センターが制度化
1996年10月大阪市内初の市民団体が設置母体となる精神障害者の小規模作業所として生野区新今里にトータスハウスが開設された。サロン型の作業所は当時としては珍しかった
1996年12月メンバーが増え手狭になり天王寺区生玉前町から天王寺区上汐にむつみ工房が移転
精神障害者の生活の場作りを進める会(準備会)の主催で講演会「当事者は今2」が生野区・KCC会館にて開催された
1997年4月精神障害者の生活の場作りを進める会(準備会)の視察研修で埼玉のやどかりの里を訪問
1997年8月メンバーが増え手狭になったので同じ生野区桃谷内にアトリエ・IKが移転
1997年10月トータスハウスの隣のマンションの1階で喫茶トータスハウスがオープン
1998年4月天王寺区生玉前町に精神障害者の小規模作業所ゆめくらぶが開設された。サロン型の作業所としてスタート
1998年9月精神障害者の生活の場作りを進める会(準備会)の視察研修で島根県出雲市の地域生活支援センターふあっとと松江市の社会福祉法人桑友を訪問

2.任意団体結成

1998年10月地域生活支援センター設立に向けて20団体が集まり精神障害者地域生活支援センター設立準備協議会を設立(精神障害者支援の会ヒットの前身)。大阪市に「精神障害者地域生活支援センター開設要望書」を提出
1998年12月精神障害者の生活の場作りを進める会(準備会)の主催で生野区・KCC会館にて講演会「当事者は今3」が開催された。団体名から準備会を外し、愛称を「くふすか」に決定
特定非営利活動促進法施行
1999年3月地域生活支援センターが大阪市議会を通過し予算化
精神障害者地域生活支援センター設立準備協議会を前身として精神障害者支援の会ヒットを結成した
1999年4月アトリエ・IK、トータスハウスの設置母体が生野精神障害者を支える会となる
むつみ工房、ゆめくらぶの運営を家族会からメンタルサポートムクに引き継ぐ
精神障害者支援の会ヒットとして大阪市より事業委託を受け、東成区東小橋に精神障害者地域生活支援センターすいすいを開設。建物内の改修工事があるため電話相談から事業を開始
1999年5月精神保健福祉法が一部改正され、精神障害者地域生活支援センターが法定化。精神障害者地域生活援助事業(グループホーム)に精神障害者居宅介護等事業(ホームヘルプサービス)、精神障害者短期入所事業(ショートステイ)が加わり精神障害者居宅生活支援事業として位置づけられた(2002年4月施行)
1999年6月すいすいの改修工事が終了し、本格的に事業がスタート
東成区・生野区・天王寺区の当事者を中心に大阪ひがし精神障害者連絡会(せせらぎクラブ)が結成された
2000年7月生野精神障害者を支える会が設置母体となり生野区3ヵ所目の精神障害者小規模作業所として同区巽東に画布を開設。月・火を閉所するかわりに土・日を開所し、休日の居場所として登録外のメンバーも受け入れた
2000年10月アトリエ・IK、トータスハウス、画布、むつみ工房、ゆめくらぶの設置母体が精神障害者支援の会ヒットとなる
精神障害者ふれあい生活支援・訓練モデル事業を大阪市より受託。夜間の不安軽減を目的にトータスハウスを利用して夕方以降の居場所を提供
2000年12月天王寺区生玉前町から天王寺区国分町へゆめくらぶが移転
精神障害者の生活の場作りを進める会(くふすか)の主催で東成区民ホールにて「当事者は今4」が開催された

3.法人設立

2001年3月精神障害者支援の会ヒットが特定非営利活動法人の認証を受け、NPOとして活動開始
画布の1階で福祉ショップがオープン
2001年6月第1回会員総会開催。設立記念講演に講師として大谷昭宏氏を招く
大阪市より受託し、精神障害者ホームヘルパー派遣モデル事業を開始
2001年7月生野区に物件を購入し、グループホームHITを開設
2001年8月精神障害者ふれあい生活支援・訓練モデル事業のサロンをグループホームHITの1階に移し、ふれあい地域生活支援センターとして開所
2001年9月ピアヘルパー公開学習会を実施
宮城県仙台市の社会資源を視察研修。当事者6名、スタッフ6名が参加
2001年10月公益財団法人三菱財団の福祉助成事業を受け、ピアヘルパー養成派遣事業を開始
2002年1月第1回ピアヘルパー研究会を実施
2002年2月むつみ工房が隣のテナントに移転。新たに弁当屋を始めるために厨房設備を改造
天王寺区3ヵ所目の精神障害者小規模作業所として、元むつみ工房の場所で、あしすとを開設
2002年3月アトリエ・IK、トータスハウス、画布を中心に音でつながる地域交流会を開催
2002年4月モデル事業を経て精神障害者居宅介護等事業(精神障害者へのホームヘルプサービス)が制度化。ヘルパーステーションヒットハンズを開設し、精神障害者へのホームヘルパー派遣事業を開始。あしすと内に事務所を置く
第2回ピアヘルパー研究会を実施
2002年7月トータスハウス、むつみ工房が小規模作業所から精神障害者小規模通所授産施設(法内施設)へ事業移行
第3回ピアヘルパー研究会を実施
2002年9月アトリエ・IK、トータスハウス、画布を中心に地域啓発イベント「生野のね」を開催
2002年10月韓国・テファの泉の湧く家を視察研修。当事者6名、スタッフ7名が参加
2002年11月大阪市の委託を受け、精神障害者地域生活移行支援(退院促進支援)事業を開始
2002年12月むつみ工房、ゆめくらぶ、あしすとを中心にホップ工房と共同で楽団あぶあぶあ&ミュージカルチームLoveコンサートイン天王寺を開催
アメリカ・カリフォルニアのヴィレッジISAの視察研修にスタッフ2名が参加
2003年1月お弁当屋むつみ亭がオープン
第4回ピアヘルパー研究会を実施
2003年2月韓国よりテファ泉の湧く家のメンバーとスタッフが来日。約一週間にわたり相互交流の機会をもつ
ピアヘルパー公開研究会として講演会「セルフヘルプにおける位置づけとピアヘルプサービスの可能性」、シンポジウム「実践から見えてきたこと、感じたこと、そして今後の展望」を開催。テファ泉の湧く家の関係者らも参加
2003年1月お弁当屋むつみ亭がオープン
第4回ピアヘルパー研究会を実施
2003年3月神戸学生青年センターにて1泊2日日程でピアヘルパー養成講座を実施
喫茶トータスハウスを改装
2003年4月国のモデル事業として精神障害者退院促進支援事業が開始される
2003年6月第5回ピアヘルパー研究会を実施
2003年8月第6回ピアヘルパー研究会を実施
2003年9月日本精神障害者リハビリテーション学会長崎大会にてピアヘルパー調査研究事業に関するポスター発表を行う
2003年10月大阪市単独事業の精神科入院患者地域生活情報提供事業と精神障害者地域生活つながり支援事業を受託。同年11月から12月にかけて同事業の柱となるピアサポーターの養成講座を大阪市の依頼を受けて実施
2003年11月すいすい開設5周年記念イベントを企画。大阪市立中道小学校で灰谷健次郎氏の講演会とハルシオンのライブを開催した
アメリカ・カリフォルニアのヴィレッジISAの視察研修にスタッフ1名が参加
2004年3月アトリエ・IK、トータスハウス、画布を中心に第2回音でつながる地域交流会を開催
2004年9月カナダ・ウィニペグで開催されたDPI世界サミットに当事者スタッフが参加
2004年10月東京都台東区の精神障害者ピアサポートセンターこらーる・たいとう、新宿区の地域生活支援センターまど、板橋区の社会福祉法人JHC板橋会を視察研修。当事者6名、スタッフ5名が参加
2005年3月生野区にサテライト型となるグループホームHIT2号を開設
2005年4月精神科入院患者地域生活情報提供事業と精神障害者地域生活つながり支援事業が精神障害者地域生活移行支援(退院促進支援)事業に統合される
2006年5月法人設立5周年記念誌を発行
2006年6月講師にやどかりの里の谷中輝雄氏を招き、法人設立5周年記念講演会を実施
生野区勝山北の物件を購入しトータスハウスが生野区新今里から移転
2006年8月大阪市市民局就業支援モデル委託事業を受託し、教育現場における精神障害者の語りに関する事業(語り部事業)を開始
2006年10月障害者自立支援法施行。それに伴い、すいすい、ヒットハンズ、グループホームHITが新体系事業に移行
ヒットハンズがすいすいと同じ建物に事務所を移転
2006年11月韓国・ソウルで開催されたアジアクラブハウスカンファレンス2006に当事者2名、スタッフ3名が参加
2007年1月ヒットハンズの事務所をすいすい内から再びあしすと内に移す
2007年2月生野区にグループホームHIT4号を開設
2007年3月ヒットハンズの事務所をあしすと内から東成区中道へ移す
大阪市の精神障害者ふれあい生活支援・訓練モデル事業が終了
2007年4月ふれあい地域生活支援センターを自主運営化
ゆめくらぶが大阪市の地域活動支援センターモデル事業を受託
2007年6月大阪市市民局就業支援モデル事業を昨年度に引き続き受託。語り部事業が2年目に突入
2007年9月ふれあい地域生活支援センターを閉所
2007年10月モデル事業を受託していたゆめくらぶと共に画布とあしすとが地域活動支援センター(活動支援A型)に事業移行
法人の活動が大阪日日新聞「さわやかNPO」のコーナーで紹介される
2008年2月NPO法人出発のなかまの会と共同で講演・シンポジウム「今、累犯障害者を考える」を開催
2008年4月地域生活支援センターすいすいへの大阪市の家賃補助が終了
アトリエ・IKが地域活動支援センター(活動支援A型)に事業移行
ヒットハンズが東成区中道から再びすいすい内に事務所を移転
精神障害者退院促進支援事業が精神障害者地域移行支援特別対策事業となる
2009年2月アトリエ・IKと画布が生野区鶴橋の11ビルに移転
2009年4月むつみ工房・あしすとが多機能型事業(就労継続支援B型・就労移行支援)に移行し、事業所名をムクに変更
トータスハウスがムクの従たる事業所として就労継続支援B型に事業移行
法人内のすべての事業所が障害者自立支援法に基づく事業所に移行
2009年5月アトリエ・IKが生活介護に事業移行
2009年11月ジェフ・バークランド氏を招いて東成区で地域啓発を目的とした講演会とシンポジウムを開催
2010年4月精神障害者地域移行支援特別対策事業が精神障害者地域移行・地域定着支援事業となる
2011年3月ムクが就労移行支援事業を廃止
2011年4月ゆめくらぶが天王寺区国分町から生野区桃谷に移転し、生活介護に事業移行
2011年5月語り部事業が大阪商工信用金庫の奨励賞を受賞
トータスハウス単独で生活介護に事業移行
2011年8月グループホームHIT4号移転。5号、6号開設
グループホームHIT7号開設(女性用)
2012年4月障害者自立支援法改正。精神障害者地域移行・地域定着支援事業が個別給付化
2012年9月生野区鶴橋に訪問看護ステーションひっとほっとを開設。アトリエ・IK、画布と同じ11ビルに事務所を構える
2013年4月障害者総合支援法施行
ムクから再びむつみ工房に名称を変更
あしすとが天王寺区東高津町に移転し、単独事業所として就労継続支援B型を開始
ヒットハンズとひっとほっとが生野区勝山北に移転
2013年7月蟻塚亮二氏を招いて地域住民との交流を目的とした講演会を東成区さんくすホールにて実施
2013年12月法人本部の所在地を天王寺区上汐から生野区新今里に移す
ヒットハンズが生野区勝山北からアトリエ・IKと画布と同じ11ビルに移転
ひっとほっとが生野区勝山北の事務所から東高津町に移転。あしすとと事務所を共有
2014年2月むつみ工房の101号室と102号室の奥の部屋が開通
2014年2月~3月NPO法人出発のなかまの会と生野区社会福祉協議会と共同で大阪市地域福祉活動推進事業を受託し、全5回の講演会を実施
2015年4月当事者の学びの会「セルフィーズ」の活動を開始
2016年4月トータスハウス喫茶店の営業を終了
2016年7月トータスハウスが生活介護事業を廃止して閉所。19年10ヵ月の歴史に幕を閉じる
2017年2月 東成区に就労継続支援B型事業所タストを開所

count from 2006.04.05